第9回 亀井 よし子さん 後編

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亀井先生とインタビューを担当した佐藤

 面白そうな原書を自分で探し、見つけ、訳して、持ち込む——そうして、純文学の翻訳という重い扉をたたき、道を開いてきた亀井よし子さん。文芸翻訳界ではまごうことなき“大御所”なのですが、実は、佐藤千賀子をはじめリリーフには、“フェロー・アカデミーの亀井先生”と御縁のあった者が多く、先生がこの2月で講師を勇退されたことに特別な思いを抱いております。
さて、「翻訳文学は絶滅危惧種か?」とまで言われるようになった今こそ、亀井先生と「希望の糸口を探りたい」と思いつつ、どうしても「右肩上がりだったあの頃」の話に花が咲いてしまいます…。

  ■インタビュー:佐藤千賀子(さとう ちかこ) ■テキスト:川上 洋子(かわかみ ようこ)

「翻訳文学を絶滅させないために」後編

亀井  私が勉強を始めた頃は、翻訳学校の授業とは別に、面白そうな本をいろいろ取り寄せて、やみくもに訳していました。文芸ものの翻訳者と言えば男の人がほとんどで、大学の偉い先生がやっている時代だったから。でも、その訳書を見るとね、大変不遜な話ですが、「あ、これなら私もできるかも」と思うようなものもなきにしもあらずだった。それで本気になったんだけど、そこからもまだ、道のりは長かったです。ハーレクインやサンリオのロマンス小説を翻訳していた時期も、空いた時間で好きな純文系の本を、何のあてもなく訳していたの。だから、80年代後半に、いわゆる純文学の翻訳でデビューできたときには、すでに訳し上げたものが5作ぐらい手元にあったんです。
佐藤 『インカントリー』(ボビー・アン・メイソン著/ブロンズ新社)もそのひとつですか?
亀井  そう。あの手の本はまだ翻訳されない時代だったんだけど、あるとき、朝日ジャーナルに「ボビー・アン・メイソンのIn Countryなどという作品も、そろそろ日本で紹介されるべきだ」という記事が出たのよ。「こりゃえらいことだ!! ぼやぼやしてたら、誰かが持っていっちゃう」と思って、知り合いに頼んで調べたら、ブロンズ新社が版権を取っていることがわかったの。ブロンズ新社はまだできたばかりの小さな出版社で、本当は有名な女性作家に訳してもらいたかったんだろうけど、ともかく私はこの本にかける熱意をめんめんと綴った手紙を訳し上げた原稿に添えて。そうしたら、「これで行きましょう」ということになって。
佐藤  それ以来ずっと、ブロンズ新社さんと御縁が続いているんですものね。
亀井  同じ頃に出た『読み聞かせーこの素晴らしい世界』(ジム・トレリース著/高文研)も、実は持ち込みだったんですよ。あれは、たしか天声人語で「最近子どもが本を読まなくて困るというけれど、アメリカにはこういう読書のためのガイド本があって、それに触発されて学校で朝の読書運動などが始まっている」という話を読んだの。新聞に出るぐらいだから、もうどこかが目をつけているよね…と思いながら、とりあえず原書を取り寄せてみたら、これが面白かった。高文研も翻訳ものは出したことない出版社だったんだけど、
「面白いからやってみよう」ということになって、結局、20何刷りまで出たかなあ。今思うと、あの本が、小学校の読み聞かせ活動や、朝の読書時間のきっかけとなったんですよね。
佐藤  出版社のサイトを見ると、持ち込みOKと書いてくれているところもあるんです。持ち込んだからって、お返事なかなかくださらないけれど、シャットアウトされているわけではないんですよね。亀井先生は以前から受講生に「自分で原書を探して持ち込みなさい。レジュメの書き方教えてあげるから」って、言い続けていましたものね。
亀井  私の時代は『タイム』や『ニューヨークタイムズ』を購読して書評欄で面白そうな作品を探したものだけど、今はネットで海外の新聞の書評欄が読めるし、ベストセラーリストもすぐ検索できる。たとえば英語圏の作品ならアマゾンのUSAとUKなどをのぞけばいろいろ出てくるでしょ? それで「わ、面白そう」と思ったら、ポチッとすれば、すぐに本が届くじゃない。ブームの頃は、原書がゲラの段階でもうどこかが翻訳権を取っているような状態だったけど、今は意外と空いていたりするんですよ。「何かやりたい」と思うなら、自分で見つけて、自分から取りにいかないと。
佐藤  ネットのおかげで原書探しが楽になったことと、版権が比較的取りやすい状況であること。これはバブル期にはなかったアドバンテージですから、あとは先生がデビューしたときのような根気と情熱で切りひらくしかないですね。さて、先生ご自身はこの春、教える仕事にひと区切りつけられたわけですが…。
亀井  翻訳学校は講師に定年がなくて、受講生に卒業がないでしょ。いようと思えばいつまででもいられるから、きりがないんだけど、年も年だし、ここ2年ほど引き時を考えていたの。(学校側から)「辞めてください」とはなかなか言いづらいだろうし、自分で判断のつくうちに区切りつけたほうがいいな、と思って。だって、正しい判断ができなくなって、「いいや、辞めない!!」なんて言い出すと困るから(笑)。
佐藤 そろそろ好きな作品だけ訳していくのもいいかな」と仰っていましたけど、これと思うものはおありですか?

亀井

 以前訳した作家の別の作品とか、ヒット作の続編とか、いくつかあるんだけど、ほかには、児童文学の名作の訳し直しをやってみたいという思いがあるのね。昔の大家が訳したものは、たしかにすごくうまいけれども、どうしたって言葉が古めかしいでしょう? 孫が10歳なので、翻訳ものを読ませたいのですが、その前に自分で読んでみると、「この訳じゃ違和感があるかも…」って思うこともあるから。特に会話の部分をね、もっと感情移入できるような、その情景にふさわしい訳にしてみたいんですね。そういう仕事があったら、飛びつくな。

   
インタビューを終えて
 翻訳文学を絶滅させないためには、いろいろな人が、いろいろな場で「読まないと、もったいない」と言い続けることが大事——その精神で、私が推薦する作品は、亀井先生が訳した『熱帯産の蝶に関する二、三の覚え書き』(ジョン・マリー著/ソニーマガジンズ)という短編集です。出版されてから10年くらい経ちますが、何度読んでも、ワクワクしたり、しっとりしたり、ズシンときたり、いろんな思いをさせてくれるので、年に一度は、なんとなく開いた話を読んでいます。ご自身にとっても「たくさん訳した中で、いちばん気に入っているもののひとつ」だそうで、亀井先生のあの訳でなかったら、こんな風に繰り返し読むことはなかったかもしれないな…とも思います。
佐藤千賀子
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