第3回 二宮 千寿子さん

hnyk_D03m_ninomiya_1 英文秘書、通訳を経て翻訳者に。実務と文芸の両方をこなし、女性向けの自己啓発書、自伝、短編小説集など7冊の訳書が出版されている。
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『世界のスピリチュアル・スポット』

レベッカ・ハインド 著
二宮千寿子 訳
ランダムハウス講談社 発行

全編美しい写真に彩られた『世界のスピリチュアル・スポット』(ランダムハウス講談社刊)は、見る本であると同時に、読む本でもあります。写真に負けない、そして邪魔をしない文章に仕上げてくださった二宮千寿子さんをお招きし、この本の心地よい余韻について語り合いました。

  ■インタビュアー:佐藤千賀子(さとう ちかこ)

インタビュー

佐藤  厚くて大きくて読み応えのある写真集ですよね。世界の聖地を62か所も紹介していて、しかも、それぞれ内容の濃い解説がついていますから、翻訳は大変だったと思うんですけれど。
二宮  ええ、調べものが多くて…。でも、今の翻訳者は本当に恵まれていると思いますね。昔は図書館に行って、分厚い百科事典や専門書をひっくり返しても出ていなかったり、情報が古かったりしたのが、今はインターネットで写真まで見られますから。あの手この手で検索をかけると、奥地に行った方の紀行文とか、一般の方の旅行記とか、「こんなことまで」と思うような珍しいものも出てくるので、随分助けられました。インターネットに掲載されていることを全面的に信頼するわけにはいかないですけれど、新しい情報が得られるのは助かりますね。
佐藤  二宮さんご自身が行ったことのある聖地はいくつかありました?
二宮  少しだけ。表紙のボロブドゥール(ジャワ島)はたまたま行ったところで嬉しかったんですが、あとは、グランドキャニオンとか、ナイアガラの滝とか、日本のを2つ入れても、6つしかなかった……!
佐藤  翻訳者はもちろん博識の方が多いですけれど、与えられた仕事を通じて調べていくうちに、どんどん知識が増えていくのが嬉しいですよね。
二宮  特にこの本に関しては、私、いまだに飽きないんですね。いまだに写真を見ているんです。書いてあることも知っているはずなのに、また読み返して感銘を受けたり。
佐藤  私もです。見ているだけで遙かな地へ旅をした気分になるし、「聖地」という視点があるから、ちょっと敬虔な気持ちにもなれる。でも、二宮さんは何回も推敲したわけでしょう? それでもまだ開いてご覧になる……。
二宮  今回は本当に、写真の力というものをひしひしと感じましたね。これまで文章だけの本を訳してきましたので、とにかくビジュアルから心に飛び込んでくる本ってスゴイ、と初めて実感しました。写真を見て、もっと知りたくなり、文章を読んで「ああ、そうか」と思い、また写真に戻るという、そんな相互作用があるんですね。この仕事をいただいたとき、「文体は“である調”で、とにかく淡々と訳してください」と言われたんです。で、実際にそのように作業してみると、「なるほど」と腑に落ちました。原書から聞こえてくる“声”みたいなものを聞いて、ひたすら誠実に日本語にする。そのやり方がプラスになる本だということをすごく感じました。
佐藤  読者層の想定についても特に打ち合わせしなかったですものね。歴史、宗教、文化、建築の難しい言葉も出てくるけれど、原文に添ってあるがままに訳していけば、本来あるべきレベルに仕上がっていく感じでした。写真集だから当然写真に負うところは大きいけれど、日本語がちゃんと写真に寄り添っている、いい本になったと思います。私は、プロの翻訳者をたくさん存じ上げていますが、コーディネーターとしてこの本を渡されたとき、すぐに「二宮さんに」と思ったんです。
二宮  それは、嬉しい……!
佐藤  二宮さんなら、きちんと調べものをして、この本に合った文体を醸し出してくださるであろうと。その辺『当たったな』と思っております。
二宮  今はまだ、とりあえずいただいた仕事を通じて実績を増やしていく時期だと思っているんです。その中で、少しずつ翻訳者としての自分の場所ができてくればいいな、と。まだ、そのステップにいるときに、こんな素晴らしい本と関われて、本当に幸せな出合いをいただいたと思っています。選べる立場ではないんですけれど、やはりできるだけ自分が好きな、打ち込めるものを訳せれば幸せですから。
佐藤  自分で出版社に持ち込んで本になったという作品は、まだ?
二宮  まだ、ないです。やりたいテーマはいくつかあるので、面白そうな原書をAmazonで見つけて取り寄せると、そのうちに日本語版が出てきたりするんですね。で、『私の目は間違っていなかったんだわ』と思うんですけれど、『いいな』と思いつつ、日本のマーケットでは採算とれないかな?なんて思って行動を起こさないでいたら、邦訳が出版されていた……というケースが何冊かありました。
佐藤  具体的にどんな本を探してらっしゃるのか、後編で詳しくお聞きしたいと思います。二宮さんは翻訳学校に入ったとき、すでに、翻訳者としてある程度完成されていたように思いますが、それは、英語に長く親しんでこられたせいかしら。
二宮  夫の仕事の関係で5年半ほどニューヨークにいた頃、時々、フリーで通訳をしていました。初対面の方に名刺を渡して、1日満足していただけるような仕事をする――その真剣勝負が、私はすごく好きだったんですが、それに比べ翻訳のほうは、ちょっと “かったるい”と言うか。好きな分野と出合っていなかったせいもあるんですが、最初すごく嫌っていたんです。時間がかかるし、「労多くして……」というイメージが強くて。その後、ロンドンに4年住んだときにビジネス系の英日翻訳をする機会がありまして、それで大失敗をしました。
佐藤  大失敗と、自分ではっきりわかるほど大きな打撃があったんですか?
二宮  訳文が真っ赤になって返ってきたんです。ニューヨークで通訳をしていたから、『私はできるわ』なんて思っていたんですね。そしたらとんでもない。あ、これは大変なお仕事だと。でも、失敗した段階でやめたら逃げたことになるので、このまま放っておいてはいけないと思って、帰国後、翻訳学校の通信教育を受講しました。。
佐藤  もともとできる方なのに、それから15年間、かなり最近まで勉強なさっていましたよね?
二宮  いまだにやっています。結局、学校に入った時点で、私にとって「翻訳は勉強しないとできないもの」とわかったものですから。海外にいたから『ちょっとコツを学べばできるだろう』ぐらいに、なめていたんですが、とてもそんなに生易しくはありませんでした。
佐藤  そこでまた打ちのめされたとおっしゃっていましたね。でも、そうして、いい先生方に出会って翻訳の面白さを知り、力を認められて訳書も7冊出た……というところで、自分に向いた内容の本を積極的に探していらっしゃるわけですが、具体的には、どんなテーマのもの?
二宮  ひとつは、病に関するものです。以前、アルコール依存症の本の下訳をしたのがきっかけで、病気に関する本を何冊かやる機会がありました。特に訳したいのは、いろいろな困難を乗り越えてきた人の自伝ですね。病と向き合ったり、身近な人を失ったりという深い経験をした人の自伝には劇的で素晴らしい本が多いと思います。私自身、病気が全然かけ離れた世界のことではなくなってきているので、苦しいときの支えになる本があるといいなと思います。もうひとつ、「人と動物の関わり」というテーマも探しています
佐藤  そちらは、何かきっかけがあるんですか?
二宮  私の場合、最初の読書体験が動物だったんです。『シートン動物記』やら何やら、小学校の図書館でとりあえず動物と名のつくものを片っ端から読んでいました。直接的な経験としては、障害者のための乗馬活動に共鳴したことが大きいですね。例えば、脳性麻痺で身体が思うように動かない人でも、馬に乗ると、自分の足で歩いたときのように骨盤が動くのと、内またにあるたくさんの神経が刺激されるので、コチコチだった足が開いたりするんです。それから、車椅子の人は普段、人の谷間で暮らしていますよね。それが、視点がとても高くなり、あんな大きな動物を号令で動かすのですから、精神的にもすごくいいわけです。私は海外から招く講師の通訳として参加したおかげで、具体的な効果を目の前で見ると同時に、理論的な裏付けも勉強できました。
佐藤  その馬たちは障害者向けに特別に訓練されているのですよね?
二宮  だけど馬って、とても臆病な動物なんですよ。大きな音や声、変わった動きなんかに驚いて、まず逃げようとします。でも、障害のある人がまたがるときは、じっと待っていてくれる。それと、私たちが赤ちゃんを背負うことを想像すればわかるように、左右均等の姿勢で乗れば馬も楽なんだけれど、身体に麻痺がある人はそうもいかないですよね。硬い身体でアンバランスに乗られたら、馬にはすごく負担なはずなんです。でも、ちゃんとつきあってくれる。それで終わると、「あ、終わった。お仕事終わった」っていう感じで。結局ね、乗り手に障害があるのをわかっている気がするんですよ。人間が思っているより、ずっと理解力があって、違いをそのまま受け入れてくれる。そんな様子を見ていると、人間が「万物の長」という考え方はどうも傲りのような気がして。人間も本来、動物であって、動物同士の不思議な繋がりがあると思うんです。自然の中の動物にしても、馬や犬みたいに仕事をする動物にしても。
佐藤  そういうテーマの洋書はあるんですか?
二宮  ことに馬に絞って探していますが、ピタリとはまる本はまだないですね。それと、理想論、感情論に走らない、“採算のあう”環境との新しい取り組みも、追いかけているテーマです。
佐藤  また、いい本見つけて、提案していきましょう。
インタビューを終えて
 翻訳は英語が得意でない人のために働くサービス業であり、同時に日本語が書けない原作者に対するサービス業でもある――つまり両方向に奉仕する素晴らしい仕事です。翻訳者は、そんな作業が好きで好きで、いくらやっても飽きないという人でなければ極められない、厳しい職業でもあります。二宮さんとお話して、その思いをさらに強くしました。
佐藤千賀子
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