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第2回 石垣 憲一さん 「インド式秒算術」ヒットの裏側
 
翻訳家・石垣憲一さん

洋酒の研究家でもあり、ワイン、カクテルに関する訳書、著書がある。近年はPerlプログラマとしても活動中。

『インド式秒算術』
『インド式速解術』

プラディープ・クマール 著
石垣憲一 訳
日本実業出版社 発行


2007年春、 “インド式”とうたった算術の本が書店の棚を賑わせていました。『インド式秒算術』(日本実業出版社刊)もそのブームの牽引役を果たしたタイトルのひとつです。なにしろ計算問題が主役の本ですから、翻訳は数学に明るい方に…ということで、お願いしたのがこの方、石垣憲一さんです。東大に数学で入学し、ラテン語で卒業したという、まさに“文理両道”の翻訳者でした。
■インタビュー:佐藤千賀子(さとう ちかこ)

 


 その他のインタビュー

 

 インタビュー

佐藤  この本の訳を依頼されたとき、石垣さんご自身はインド式数学なるものをご存じでした?
石垣 「インド式」というタイトルにはなじみがなかったですけれど、数学の内容自体は、受験生ならたぶん中学・高校の頃から何となく知っているようなものでしたので、あまり違和感はなかったです。
佐藤  同じ時期に類書がたくさん刊行されましたけれど、それらはお読みになっていました?
石垣  類書の日本語版を読んだのは、自分の訳を納品した後でしたね。訳す前に参考にしたのは、英語のウェブサイトです。Amazonに本を注文して届くのを待つより、インターネットで調べまくるほうが早いですから、2日ぐらい検索し続けて、インド式数学について詳しく説明しているサイトをいくつか見つけました。「やはり、この訳語で間違っていないはずだ」と納得して、訳し始めたという感じです。翻訳は正味1週間で終わりましたが、そのあと3日ぐらいかけて例題を全部検算しました。数学自体に間違いがあると困りますから。
佐藤  誤植を含め原書が間違っている場合もよくありますけれど、実際解いてみて、いかがでしたか
石垣  おかしいところは著者に直接メールで問い合わせて、修正しました。
佐藤  ちゃんと返事来ました?
石垣  それはもうすぐに。インドですから多少の時差はありますけれど、2回のやりとりが2日間で終わっていますから、納得いく時間ですよね。どんな分野の人でも、探せばどこかから連絡先が見つかりますので、その点は、いい時代になったなと思います。知りたい答えが出ているかどうかわからない本を闇雲に調べるより、著者に直接メールできるほうが、翻訳者にとっては心理的に楽ですね。それは、著者にとってもいいことでしょうし。
佐藤  石垣さんは訳したうえに「こういう考え方はおかしい」と原書の不備を全部指摘してくださったと、弊社の編集スタッフが感服しておりました。数学に強い方で大変助かった、と。
石垣  もともと数学をやりたくて大学に入ったはずなんですが、途中でラテン語に文転しまして。
佐藤  それは、何か特別なきっかけがあったんですか?
石垣  いや、数学に行くかラテン語に行くかは進学前から悩んでいまして、結局かなり打算的な話なんですが、高校で文転するより理系で入学してから文転するほうが私にとっては楽だったという……。そんなわけで、大学1~2年は数学以外の理系の授業はあまり出ずに、語学ばかりやっていました。
佐藤  ブログを拝見すると、石垣さんは語学と数学以外にもかなり多芸多才な方のようです。石垣さんは書籍の翻訳以外にもプログラマなど多方面でご活躍ですが、そもそも翻訳を目指すようになったきっかけというのは?
石垣  目指すというより、翻訳は「手につける職」として確実に持っていなくてはいけないスキルだと、高校の頃から考えていました。それとは別に何かほかのこともするだろうと思っていましたけれど、今、どれが本業なんだ?と聞かれると、うーん、年によって変わるので、何とも申し上げようがないですね。ただ、何をするにしても「研究者になりたい」とは思っています。
佐藤  ご自身のブログでは、お酒の研究者という視点からカクテル講座を展開なさっていて、訳書のほうはワインに関する本が多いですね。
石垣  ロバート・M・パーカーという有名なワイン評論家がいまして、ワインの味を100点満点で評価しているんですが、その点数評価の本をずっと訳していました。
佐藤  味を言葉で表現するのは難しくないですか? 日本人が日本の料理を食べて日本語で伝えるのだって大変ですのに。
石垣 「××の味に似ている」などと表現するならいいんですが、「素晴らしい」とか「夢のようだ」とか、そういう形容詞を重ねて点数の微妙な幅を表現しようとしても、表現しきれるわけはない。20点満点ぐらいだったら、まだいいんですけれど、100点のうちの1点の差、2点の差を表すために、原著者は言葉を変えているわけですよね。それをいつも「素晴らしい」の一言で表しちゃっていいのか?とか、ずいぶん悩みました。パーカーの本を訳したときは、例えば「これは70点のワインに使っている言葉だから、そんなにレベルの高い表現ではない」とか、「100点のワインに使っている言葉だから、もっと高い表現になるべきだ」とか、ある程度プログラム的に点数と言葉を対応させるやり方をしました。原書のデジタルデータでもらっていましたので、検索作業もずいぶんしましたね。
佐藤  お酒は奥が深いし、読者層は広いしで、どこに照準を合わせるかも悩みどころですね。日本はいろいろな国のいろいろなお酒を受け入れていますけれど、書物は十分に提供されていると思われますか? 特に洋書に関して。
石垣  専門書に関しては全然足りていないですね。ただ、専門書を翻訳したものを読みたい人がどれだけいるかというと……、よくわからないですね。マニア向けのイベントに群がる人の数は決して少なくないと思いますが、趣味ですから、酒場でちょっとネタにする程度の本があればいい、という意見もありますし。
佐藤  そういう本は、すでにたくさんありますねえ。もうちょっと深い話や、そもそもこの酒は……という専門書になると、なかなかないんですよね。
石垣  また、そのレベルを求める人は、大概、英語で読めちゃうということもあるので。
佐藤  今後もお酒の関係の翻訳に力を入れていらっしゃるのでしょうか? 例えば、原書を探して出版社に持ち込んだり、というようなお考えは?
石垣  それはありますけれど、最近は訳す前に「書け」と言われることが多くて。
佐藤  ご自分で書き起こせるなら、やはり、そのほうが面白いし?
石垣  面白いことは面白いんですが、書くためには当然ながら大変な労力が必要なわけで、訳すほうがはるかに楽ですね。ただ、翻訳するとしたら、今までのような味の評価だけの本より、もっと歴史を語るような本を出していきたいなと思っています。カクテルについて日本で書かれている本は間違いだらけなので……。ちょっと歴史をひもとけばわかることなのに、よく調べないで孫引き、ひ孫引きで載せるものだから、間違ったまま引き継がれてしまうんですね。カクテルの名前の定義などは年代によって変わってくるものですけれど、やはり古いことを間違った形で伝えられるのは、あまりうれしくないな、と。今、アメリカのほうでも、カクテルについて調べ直そうという動きがありますので、それを反映させたいという気持ちはあります。
佐藤  そうして研究することと、石垣さんご自身がお酒を味わって楽しむこととは、どこかで上手に結びつきます?
石垣  自分で調べていないことを書けないから自分でカクテルを作って飲んでいた、というのも大きいですね。もちろん飲むこと自体も好きですけれど。
佐藤  研究のプラスになるので飲むし、さらに好きになっていく、という感じですか。
石垣  まあ、酔っぱらってばかりもいられませんが(笑)。
佐藤  私の場合は、酔うために飲んで、そこに帰結していっちゃうので(笑)、お酒に酔いながら、それを仕事に結びつけていくのはすごいな、と思います。
石垣  翻訳することもずっと好きだったので、仕事を「辛い」と思ったことはないんですが、強いて言えば、「お酒の本を訳しているときにお酒を飲めない」というストレスが……(笑)。酔っぱらっている場合じゃないんだけど、やっぱり書きながら「飲みたいな……」と思うことはあります。

 

インタビューを終えて
 ご自身が運営するサイト――
その名もCharlie's Cocktail BARというブログでお酒に関する知識・見識を披露なさっている石垣さん。ウィットに富んだエッセイは、まさに飲み口のよいカクテルのように訪問者を洋酒の世界へ引き込んでくれます。最近は仕事が忙しくて、なかなか更新できないそうですが、約12年分の情報量はかなりなもの。辛党の方はぜひ一度ご訪問を。 最後は『インド式秒算術』編集者が語る制作ウラ話で締めくくりたいと思います。
佐藤千賀子

『インド式秒算術』の編集は足し算と引き算でした

 本書をはじめ、インド式数学の本がブームになったのは、日本の算数とはまったく違う計算法の存在を知ることで「発想の転換」ができる面白さがあったからだと思います。若手ビジネスマンが新幹線や飛行機の中で“ちょっと自己啓発”するのに手頃な1冊として読まれたのではないでしょうか。
でも、原書はと言うと、ただ訳すだけで日本人向けの脳トレ本になるような本ではなかったんです。まず、日本とインドでは、数学に対するスタンスが違います。インドは熾烈な受験社会で、中でも数学を非常に重視しているから、九九どころか二桁の掛け算も暗算できるような教育をしている。そもそも原書は、そういう国の受験生を対象に数学指導者が書いた本です。つまり、日本実業出版社が意図する日本語版とは、まったく異なる背景、目的で書かれたわけですね。そして本作りのスタイルもインド式と日本式は全然違う。そんな幾重ものギャップを埋めるために、編集段階で大きく手を加える必要がありました。
まず原書が言っている内容をよく咀嚼してから、より日本人が理解しやすいようなページに作り変えるわけです。原書の例題が少なすぎると思えば独自に計算問題を作り、一方、同じ論旨が必要以上に繰り返されていたら整理する。イラストは日本語版のオリジナルです。日本実業出版社の編集担当の方とは最初に大まかなコンセンサスを取っておいて、以後はあうんの呼吸で「足したり引いたり」させていただきました。
これだけビジュアル面での手直しが必要な実用書は、今回のように編集とDTPを同じ人間がやるのが合理的かと思います。レイアウトしながらリライトする、つまりページを組みながら内容を練る、というやり方ができますから。編集者が完璧に構成を決めてから、細かい指定をもとにDTPデザイナーが組み、その後で「ここ、やっぱり変えよう」なんてやっていたら、時間も労力も2倍かかったのではないでしょうか

渋谷友彦(しぶや ともひこ) 編集・DTP 担当
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